おかげ様ブラザーズを始めたのは親方やないの。
こんなにとっ散らかして途中で投げ出したらあかんて。
自分で始めたんやから、ちゃんと自分で幕引きせな。
岡部の追悼ライブもしてへんのに。
親方がおらへんようになったら、もうライブでけへんやないの。
ほんまにもう。
金子鉄心
悲しい・・・
淋しい・・・
キンタさんとの思い出話なんて腐るほどあるが、今は多くを語るまい。
いや、語れない・・・
訃報をもらってから平常心を保ちつつ過ごしているつもりが、気がつきゃうっすら涙が流れてる。
やっぱ、やられますよね。
悲しい・・・
淋しい・・・
今はバンドメンバーとして、友人として、安らかにお眠り下さいと心から願うばかりです。
おかげ様ブラザーズ
ベーシスト 福井ビン
24日の夕方、「随分会ってないなぁ、どうしてるかなぁ。
会いに行かなきゃなぁ~」なんて運転中ふと思ってたんです。
翌日、森松君から連絡が入った。
「あぁ、そうか~」
彼と初めて会ったのは、
僕が20才の頃(だと思う)。
僕が大学の学園祭実行委員で、
彼は、その当時まだあった、
京都銀閣寺交差点近くの
『サーカス サーカス』というライブハウスの
ブッキングマネージャーということだった。
その縁で、『トミーとミーノ&かねてつおかげ様ブラザーズ』を
大学の学園祭に呼ぶことになったんだけど、
それが始まり。
レコードを聴くのが大好きだった少年時代。
中高生になってバンドを組んで、
我流で演奏をしてきた。
憧れだった音楽業界。
ショートカットで入れてもらった(笑)
我流は、徹底的に叩き直されて、
バンド演奏を身につけた。
学祭のステージ、ライブハウス
イベントでの営業
劇団とのコラボ
レコードデビュー
面白い世界をたくさん見させてもらった。
スタジオでの録音は、
今も大好きな作業。
ライフワークをブッキングしてもらっていた。
本当にありがとうございました。
キンタ 様
ストロング金城
ようさん喋って、ようさん食べて、ようさん笑いました…
もっとようさん喋って、もっとようさん食べて、もっとようさん笑いたかったです!
キンタ君ありがとうございました。
TOY森松
キンタが突然、居なくなった。
ここ何年か、会ってなかったからなんだか
ピンと来ない。
キンタと初めて会ったのは40年位前だったろうか、
俺と同じ下宿にキンタの所属するサークルの先輩が住んでいて、その先輩をキンタが訪ねて来た時に、紹介されたと思う。
俺が今まで付き合って来た奴らと、キンタはノリが違っていたし、スゲエ面白かったんで、
そのうちに彼のサークルに遊びに行ったりして
どんどん距離が近づいて、「おかげ様ブラザーズ」を結成するに至ったのである。
実際に、バンドを一緒にやってると、いろいろ分かって来て、どうも、キンタとは考え方や音楽の好みも違って、ギクシャクした部分もあった。
多分、バンドを一緒にやっていなければ
彼とはこんなに長い付き合いにはなっていなかったと思う。
でも、友人というものとは全く違う連帯感というか、なんだか分からない感情があるのも確かで、
多分、これが「戦友」といったものなのかなあと思う。
そうだ、「戦友」「盟友」である。
「死なば諸共」の仲であった。
メンバーがどんな攻撃にあっても味方だった。
でも、「諸共」じゃ無かったんだな、キンタ。
こんなに早く逝くとは想像もしてなかったよ。
俺の記憶には君との色々な喜びや悔しさがある。
どれも大切な記憶だ。
昔、リハスタで、メンバーがみんな歳食って
ジジイになったら、どんな再会をするんだろうねえ?って話してたことがあるけど、覚えてるかな?みんなで大笑いしてたよねえ。
ホントはまだまだお互い生きて、クソジジイになってから再会して、笑い合ってる予定だったんじゃないのかよ。君が行った所へは、まだまだ残ったメンバーは行ける距離じゃ無いから、すぐには会えないけど、クソジジイになったらたどり着きます。それまで、ボイトレして、ピッチ良くして
万全の体制で岡部と待っててください。
岡部と打ち合わせし過ぎて、あまりマニアックにならないようにお願いします(笑)。
あ、森松は若いので、全員が揃うのは相当先ですが、よろしく。
それまで、さよならだ。
あ、それと、今、俺がこうしていられるのは
君の影響が凄くデカいです。
言えなかったけど、、、ありがとね。
岡崎より